お地蔵さんとは?道端や村境に多い理由と六地蔵・地蔵盆・赤い前掛けを資料で整理

先に結論:頭を丸めた僧の姿で道ばたに立つお地蔵さんは、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)という仏教の菩薩です。お釈迦さまの入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの仏のいない時代に、人々を救う役目を負うとされます。道端や村境に多い理由を一言でまとめた資料は見当たりませんが、辞典や自治体の記述を見比べると、村の境・町内の端・都の出入り口といった「境目」に置かれてきたという共通点が見えてきます。

まずはひとつ、「へぇー」を

狂言『六地蔵』では、仏師になりすました詐欺師の一味が地蔵に化けます。地蔵役はたった3人。お堂と脇堂を先回りで行き来して6体に見せかけようとする慌ただしさが笑いを誘います。

編集:へぇ助

「地蔵」という名前と、僧の姿で表される理由

「地蔵」は、サンスクリット語の名前クシティガルバを漢字に置き換えた訳語で、クシティは大地、ガルバは胎(はら)を指します。ただ、この「大地」で何を言い表しているのかは、事典によって力点が少し違います。二つの事典の書き方を、比べる点ごとに分けてみました。

比べる点 日本大百科全書 改訂新版 世界大百科事典
名前の「大地」の読み方 命を生み育てる大地のイメージを、この菩薩に重ねる 仏になる力を内に持っていることを、ものを生む大地の力になぞらえる
『地蔵菩薩本願経』の扱い 自分の成仏を後回しにしてでも人々の苦しみを除く、という誓いとして紹介 二人の王が登場する話として紹介
性格の説明で目立つ点 六道(地獄から天上までの六つの迷いの世界)へ、みずから入っていく働き 仏になる力を内に持ちながら、いまは菩薩である

入口は違っても、二つの事典はどちらも、地蔵を、苦しむ人々のそばで働く存在として描いている点で重なります。世界大百科事典は、修行僧(沙門)の姿で表される理由を、仏になる力を内に持ちながらいまは菩薩である、という上の表の性格に求めています。ここでは、実際に見られる姿を四つに分けて整理しました。

姿 見た目と持ち物 どこで見られるか 資料
僧の姿 頭を丸め、袈裟を着る。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠という組み合わせが平安中期以降に広まる 道端の石仏や寺の本尊など、ふだん目にするお地蔵さん 精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉・世界大百科事典
菩薩の姿 宝冠と瓔珞(ようらく、首飾り)を着ける。右手に日輪、左手に旗をのせた蓮の花 胎蔵界曼荼羅の地蔵院。この姿だけで単独に造られた像は見当たらないとされる 世界大百科事典・日本大百科全書
甲冑の姿(勝軍地蔵) よろいかぶとに身を固め、右手に剣、左手に旗 武士の信仰から生まれた日本独特の姿 世界大百科事典
頭巾の姿(被帽地蔵) 僧の姿の頭に頭巾をかぶる 高麗の仏画や敦煌の絵画に見られる一群 世界大百科事典

資料を年代順に並べると見える、地蔵の居場所の広がり

地蔵が今のように身近な存在になるまでの流れは、一冊の辞典を読むだけでは見えにくいものです。そこで、各資料に出てくる記述を年代順に一つの表へ並べ直しました。

時期 資料に見える地蔵 出典
奈良時代 地蔵の経典は、この時代にはもう日本へ伝わっていた(正倉院に残る写経の文書による) 世界大百科事典
810〜824年(日本霊異記) 冥界の王・閻羅王(閻魔)が、日本では地蔵菩薩と呼ばれている者だと自分で名乗る話がある 精選版 日本国語大辞典
9世紀後半ごろまで 地蔵の像は、阿弥陀や観音の像に比べるとごくわずか 世界大百科事典
10世紀末(枕草子) 「仏は」の段で、千手観音・薬師・不動などとともに名前が挙がる 精選版 日本国語大辞典
10世紀末(往生要集・源信) 源信が地蔵の功徳を説く根拠に『十輪経』を挙げ、地獄で苦しむ者を救う役目に光を当てる 世界大百科事典
11世紀中ごろ 三井寺の僧・実睿(じつえい)が『地蔵菩薩霊験記』を編む(今は伝わらない)。六地蔵を具体的に記した例としては、これが最も早いとされる 世界大百科事典
1120年ごろか(今昔物語集 巻十七) 実睿の『地蔵菩薩霊験記』の話を多く収める 世界大百科事典・精選版 日本国語大辞典
平安時代の終わりから中世 辻や橋のたもとなど、道ばたに石の地蔵が現れる 日本大百科全書
14〜15世紀ごろ 十王信仰が葬儀・追善供養の場に入り、地蔵への信仰が広がる 世界大百科事典
享和2年(1802) 曲亭馬琴が旅の記録『羇旅漫録』に、京の町々で幕を張って地蔵をまつる様子を書く。伏見や大坂も同じだったという 世界大百科事典
明治の初め 京都では明治5年に町の木戸が廃止され、道路を広げるのに邪魔だとして地蔵の祠を取り払う動きが出る(山路興造)。廃仏毀釈の中で、地蔵を川に沈めたり山に埋めたりしたという話も伝わる(鷲頭雅浩) 京都市サイトのコラム(山路興造・鷲頭雅浩)
明治の半ば 京都の地蔵盆が盛り返す 京都市サイトのコラム(山路興造)

表を上から読むと、説話の中の地蔵ははじめ、閻魔と重なる死後の世界の仏として現れます。平安時代の終わりごろからは寺の外の辻や橋のたもとへ出て、江戸時代の旅の記録には、京の町々で地蔵をまつる様子が書き留められています。とはいえ、死後の救い手という顔が薄れたわけではありません。14〜15世紀ごろには葬儀や追善の場で十王信仰とともに語られており、こちらの顔はむしろ強まったと読めます。町の身近な守り手と、亡き人の守り手。二つの顔は入れ替わったのではなく、重なりながら育ってきた、というのが当サイトの整理です。

年表の日本霊異記の行を思い出してください。閻魔がみずから地蔵だと名乗るこの話からは、閻魔と地蔵を重ねて見る発想が、平安時代の初めの説話にもう顔を出していたことがうかがえます。この見方がのちに経典の言葉として書き表されたのが『地蔵十王経』です。京都国立博物館の解説などは日本で作られた偽経としていますが、時期の書き方は資料によって違い、同館の解説は平安時代後期、世界大百科事典の「賽の河原」の項は鎌倉時代の偽経とし、ブリタニカ国際大百科事典は平安時代末期に広まった経典として挙げています。閻魔をふくむ十人の王を説くこの経典では、閻魔王は地蔵が姿を変えたもの(化身)とされています。亡くなった日から七日ごとに区切って法要を重ねる数え方そのものは、四十九日の数え方と中陰の意味で取り上げています。

道端・村境・辻に多い理由の一つは「境目」

「なぜ道端に多いのか」に一言で答えてくれる資料は見当たらず、理由の付け方も資料ごとに違います。そこで、辞典や自治体の資料に出てくる「地蔵が置かれていた場所」を集め、何と何の境なのかで並べ直してみました。

境目 内側 外側 そこにある地蔵の例 資料
村の境・峠・辻 村 よその土地 道祖神(塞の神)と同じく、境の場所にまつられることの多い石の地蔵 世界大百科事典・日本大百科全書「道祖神」
京都の町内の両端 町内 木戸の外の通り 江戸時代、通りの両端の木戸の手前に置かれた祠。町内の安全を祈る場で、村境の神に近い存在とされる 京都市サイトのコラム(山路興造)
都・大都市の出入り口 京・江戸 そこへ続く街道 京都の六地蔵めぐりの6寺、江戸六地蔵の6か寺 京都府観光連盟・豊島区
この世とあの世 この世 冥土 各地で「賽の河原」と呼ばれる場所(地蔵の石像が多い) 世界大百科事典「賽の河原」

並べてみると、大きさはまったく違っても、どれも内と外が切り替わる場所です。村境をまもる道祖神と地蔵が重なり合ったこと(習合)も辞典に書かれており、両者が同じような場所に立っているのは不思議ではありません。

ただし、境目だけが理由ではありません。京都の町内の祠については、火事の多い町だったので火除けの地蔵を辻に置いた、という説明が京都市サイトのコラム(前東山区長・鷲頭雅浩氏)にあります。同じコラムは、夜には通りの木戸を閉めて外から悪いものを入れないようにしていた町の造りにも触れていて、こちらは表の「町内の両端」の行と重なります。

辻に立つ六地蔵には、また別の理由づけもあります。世界大百科事典が紹介しているのは、六つの迷いの世界をめぐって人々を導くという地蔵の役回りへの信仰が、辻々の六地蔵につながったという説明です。境目、火除け、六道での導き。理由は一つにしぼれず、「境目」は共通点の一つ、と受け止めるのが資料に沿った見方です。

六地蔵:日本で生まれたとされる6体の組み合わせ

墓地の入口などに6体並ぶ地蔵は、六道の一つずつを受け持つという考えに基づいています。改訂新版 世界大百科事典は、この6体ひと組の形を、日本で独自に生まれたものと位置づけています。

では、6体それぞれの名前はどう決まるのでしょうか。デジタル大辞泉は一例として、地獄道を檀陀(だんだ)地蔵、天道を日光地蔵が受け持つ組み合わせを挙げつつ、異説があると断っています。名前や持ち物が資料ごとにそろわない点について、世界大百科事典は、もとになる経典がないことを理由に挙げています。

大きな町の入口に六地蔵を置いた例は、京都と江戸の両方にあります。

比べる点 京都の六地蔵めぐり 江戸六地蔵
場所 京へ通じる街道の出入り口にある6か所の寺 江戸へ入る主な街道の出入り口にある6か寺(巣鴨の眞性寺は中山道)
成り立ち 室町時代に旧暦7月24日の巡拝が盛んになり、17世紀に6か所がほぼ固まる。深泥池にあった地蔵は、のちに上善寺へ移された 地蔵坊正元が宝永3年(1706)に発願し、寄進を集めて14年がかりで造立
像の伝承・特徴 伏見の大善寺には、小野篁(おののたかむら)が冥土で拝んだ地蔵の姿を一本の木から6体刻んだという伝承があり、地名「六地蔵」もこれにちなむとされる 銅で鋳造した坐像。眞性寺の像は高さ2.7メートル
いま 毎年8月22・23日に巡拝が行われ、各寺で授かる六種のお幡(はた)を家の入口につるす習わしがある 眞性寺の像は東京都指定有形文化財。永代寺の1体は現存しない
資料 京都府観光連盟・世界大百科事典・精選版 日本国語大辞典・京都市サイトのコラム 豊島区

子どもとの結びつきは三つの場面に分かれる

お地蔵さんが子どもと結びつく場面を資料から拾うと、性格の違う三つに分けられます。

場面 地蔵の役回り 具体例 資料
これから育つ子 出産や子育ての願いを受けとめる 子育て地蔵・子安地蔵・夜泣き地蔵 日本大百科全書・精選版 日本国語大辞典
幼くして亡くなった子 あの世で子を救う 賽の河原で鬼から子を救う話、『賽の河原地蔵和讃』 世界大百科事典・精選版 日本国語大辞典
町内の子どもたち 夏の行事の中心になる 地蔵盆で地蔵に色を塗る(宮津市)、道行く人にお参りを呼びかける(小浜市)、子どもが毎年描くなどして地蔵を自分たちで用意する町内がある(京都市) 京都市・小浜市・宮津市

三つを並べると、地蔵のまわりにいる子どもは、これから育つ子、幼くして亡くなった子、毎年の行事に集まる町内の子と、立場がまったく違います。祈りの場面がこれだけ幅広いことが、お地蔵さんを「子どもの仏さま」と感じさせる理由の一つと言えそうです。

二つ目の場面の舞台が「賽の河原」です。河原で石を積む幼い子と、その石を崩す鬼、そして子を救いに現れる地蔵。この話の出どころについては、二つの事典で書き方が分かれます。世界大百科事典は、『法華経』の句を出発点に、先に触れた『地蔵十王経』や和讃を経て広まった話と説明し、江戸時代の『賽の河原地蔵和讃』などで今の筋が知られるようになったとしています。話そのものを俗信とみる点は日本大百科全書も同じで、同書は、仏典の中にこの話の典拠はないという立場です。それでも、子どもが遊びで砂の塔を作るという『法華経』の一節は、どちらの事典にも出てきます。話そのものは経典になくても、物語の種とされる一節については二つの説明が重なっている、と読めます。

「さい」という名前の由来には、資料ごとに次の説が挙がっています。

  • 村境の道祖神を「さいの神」と呼ぶことから(世界大百科事典)
  • 葬地だった京都の佐比(さい)川や、大和の狭井(さい)川の名から(日本大百科全書)
  • 石を積んで仏に「賽」する、つまりお礼参りをするという意味から(世界大百科事典)

「賽の河原」と呼ばれる場所は実際にも各地にあり、日本歴史地名大系には神奈川県箱根町の芦ノ湖畔や、新潟県佐渡の願(ねがい)の海食洞窟が載っています。佐渡の洞窟には、地蔵と積み石が多いと記されています。

地蔵盆:京都市・小浜市・宮津市で比べる

地蔵盆は、地蔵の縁日である24日にちなむ夏の終わりの行事で、コトバンクに載る辞典では、近畿、とくに京都を中心に盛んだと説明されています。始まりについては、京への入口の六地蔵を旧暦7月24日に巡った風習から来たとする見方があります(世界大百科事典)。「盆」の付く名前については、百科事典マイペディアに別の説明があります。旧暦7月24日の地蔵の縁日が、ちょうどお盆行事の締めくくりの日に重なっていたため、この名が付いたというものです。お盆そのものの時期の違いはお盆の時期の違いと迎え火・送り火で整理しています。

比べる点 京都市 福井県小浜市 京都府宮津市
日取り 24日前後の土日に開く町内が多い。2013年は8月18日と24・25日に集中 毎年8月23日 8月23日ごろ
開く単位 町内会・自治会 西津地区の例では町ごと 隣組(10軒ほどが多い)
地蔵の化粧 祠から出して色を塗り直し、前掛けも新しくする。2013年の調査では、地蔵盆を開いた2,902町内のうち36.6%が化粧をした 色の制限がない。西津地区の例では、子どもが地蔵を潮で洗ってから色を塗る 市内の「漁師町」という町の例では、前年の化粧を落として子どもたちが塗り直し、最後に最年長の子が目を描く
目立つ行事 直径2〜3メートルもある大きな数珠を輪になって囲み、手から手へ送る「数珠まわし」(同じ2,902町内のうち42.5%)、福引、お菓子配り 子どもたちが「まいってんのー」と、道行く人にお参りを呼びかける 夕方、隣組の女性たちが御詠歌をあげる
資料 京都市 小浜市 宮津市

京都市が2013年に町内会・自治会を対象に行った調査(有効回収3,684)では、その年に地蔵盆を開いたのは78.8%でした。目を引くのは、地蔵のない953地域のうち349地域でも地蔵盆が開かれていたことです。地蔵を借りてくる、仏画を掛けるといった工夫のほか、子どもが毎年描くなどして、地蔵を自分たちで用意している町内も4地域ありました。地蔵盆が、地蔵のある・なしを超えて町内の行事として根づいていることがうかがえる数字です。

色を塗った地蔵は「化粧地蔵」と呼ばれ、世界大百科事典は日本海側に多いとしています。宮津市は、宮津の化粧地蔵を江戸時代中ごろから伝わる習俗として紹介しています。

「○○地蔵」の名前は何を表している?

子育て地蔵・子安地蔵のように子どもにまつわる名前は前の節で触れたので、ここではそれ以外の名前を、何にちなんで付いたのかで四つに分けてみました。こうした「何々地蔵」の呼び名は、日本大百科全書によれば100以上にのぼります。

名前のもと 例 伝わる話・願い 資料
農作業の伝説 田植地蔵・鼻取り地蔵 地蔵が田仕事を手伝い、代かきで馬の鼻を取ったという伝説から 日本大百科全書
天気 雨降り地蔵・雨止み地蔵 名前のとおり、雨の降る・止むにかかわる願いを受けとめる地蔵 日本大百科全書
願かけの作法 しばられ地蔵(東京都葛飾区・南蔵院) 願いをかけるときに縄で縛り、かなったらほどく。江戸時代の記録『文政寺社書上』にもこの習わしが見える 南蔵院
霊験の話 とげぬき地蔵(東京都豊島区・高岩寺) 正徳5年(1715)、毛利家の屋敷で針をのみ込んだ女性が、地蔵の姿を写した紙札を飲むと、札の地蔵を突き抜けた形で針が出てきたと寺は伝える 高岩寺

南蔵院のしばられ地蔵は元禄14年(1701)に造られたと伝わる、高さ1メートルほどの石像です。享保年間に大岡越前守忠相が、盗みを見逃した地蔵を縛って奉行所へ運ばせたという伝承でも知られ、今も大晦日の夜に縄を解く供養が行われています。高岩寺は1596年に神田明神の東側で開かれ、1657年に下谷(今の上野7丁目)へ、1891年(明治24年)に巣鴨へと移ってきた寺です。名前のついた地蔵は招き猫の話にも登場し、新宿区の自性院の猫地蔵は招き猫の発祥とされる寺社の話の一つに数えられます。

お地蔵さんにまつわるよくある誤解

誤解1:巣鴨で水をかけて洗われている石像が「とげぬき地蔵」

高岩寺の境内で参拝者が水をかけて洗っている石像は「洗い観音」と呼ばれる聖観世音菩薩で、本尊とげぬき地蔵の脇侍(わきじ、本尊のそばに控える仏)にあたります。明暦の大火で亡くした妻の供養のために、檀家の屋根屋喜平次が造ったと寺は伝えており、今の像は平成4年(1992)からの2代目です。本尊の延命地蔵菩薩は秘仏で、寺のサイトでも姿を公開していません(高岩寺公式サイト)。

誤解2:赤い前掛けの意味は「魔除け」と決まっている

赤い前掛けや帽子は魔除けのため、という説明を見かけることがあります。資料でたどると、答えは一つに定まりません。国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、北九州市立中央図書館が子どもの質問に答えた記録があります。そこでは石川純一郎『地蔵の世界』(1995年)をもとに、地蔵に願をかけるときの奉納品の一つに涎掛け(よだれかけ)が挙がることと、昔から白い布と赤い布で男女を表したという記述が紹介され、赤である理由そのものははっきりしなかったと記されています。

同じ記録はそのうえで、『小さい僧の物語』(瀬戸内寂聴の児童書)に、わが子の健やかな成長を願う母親たちの思いとして赤いよだれかけを説明するくだりがあることにも触れています。児童書にはこうした説明もあるものの、定説とまでは言えない。赤の意味は、そのくらいの距離感で受け止めるのがよい、というのが当サイトの見方です。

誤解3:お地蔵さんと道祖神は同じもの

地蔵は仏教の菩薩、道祖神(塞の神)は村の出入り口などにまつられる民間の神で、成り立ちは別です。辞典は両者が重なり合った(習合した)ことを説明しており、民俗学者の柳田国男が『石神問答』(1910年)で、道祖神と地蔵・庚申(こうしん)などの神仏との重なりを論じたことを、世界大百科事典は紹介しています。同じような場所で見かけても、出自は違う二つの石像です。

もうひとつ、「へぇー」を

室町幕府を開いた足利尊氏は、地蔵の絵を自ら描いて人々に与えたと百科事典は伝えます。1349年や1350年の年紀が入った尊氏筆の地蔵図が、鎌倉の浄妙寺や栃木県立博物館に残っています。

編集:へぇ助

お地蔵さんについてのよくある疑問

Q. お地蔵さんの縁日はいつ?

A. 毎月24日とされるのが一般的です。世界大百科事典(旧版)によると、平安時代にはすでに24日が地蔵の縁日とされ、説話集『古事談』には8日とする記述もあります。百科事典マイペディアは、毎月24日に地蔵講(地蔵を信仰する人の集まり)を開く地方が多いとしています。

Q. 町のお地蔵さんは、誰がお世話をしているの?

A. 資料から見えるのは、地域の人たちが支えている姿です。京都市の2013年の調査では、地蔵盆を開く主体の83.7%が町内会・自治会でした。宮津市の資料によると、「地蔵当番」という役を置く隣組も多く、花や水、線香を供えます。住む人が減った地域では、個人の家や寺に地蔵を預けたり、ほかの地蔵と同じ祠にまとめたりして守っているそうです。

Q. 昔話の「笠地蔵」は、どこに伝わる話?

A. 伝わる範囲は、世界大百科事典(旧版)によると沖縄を除く各地です。子ども向けの本に入っている例もあり、誤解2で紹介した北九州市立中央図書館の回答記録では、子どもに紹介した一冊『小さい僧の物語』(瀬戸内寂聴)に、「山椒太夫」などと並んで笠地蔵が収められています。お地蔵さまの話を集めたこの児童書は、赤いよだれかけを母親たちの願いとして説明していた、あの本でもあります。

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出典・参考