十日夜(とおかんや)とは?2026年はいつ?わら鉄砲・かかしあげと西日本の亥の子との違い

先に結論:十日夜(とおかんや)は、旧暦10月10日に関東北部を中心とする東日本の農村で営まれてきた、稲の刈り上げの節目の行事です。中心にあるのは、餅などを供えて田の神に一年の実りのお礼をすること。そこに土地ごとの色が加わり、子どもたちがわら鉄砲の音を響かせる所や、田で役目を終えたかかしを家に迎える所があります。西日本の「亥の子」は、辞典で同じ趣旨の行事として並べて説明されています。2026年の旧暦10月10日は、11月18日(水)にあたります。

まずはひとつ、「へぇー」を

「案山子さまの御箸」とは、長野県南佐久郡の十日夜で、臼に入れたまま供える餅のそばに置かれた長い大根2本のこと。田の見張りを終えたかかしに、箸まで用意するもてなしです。

編集:へぇ助

十日夜はいつ?2026年は11月18日、亥の子は11月9日から

十日夜の日取りは「旧暦10月10日」です。旧暦の月は新月(朔)の日を1日目として始まるので、今の暦に直すと毎年日付が動き、おおむね11月のどこかに入ります。2026年は、国立天文台の暦要項によると朔が11月9日16時02分にあり、この朔から始まるひと月の中に、旧暦10月の目印となる二十四節気の小雪(11月22日)が入ります。そこで11月9日が旧暦10月1日となり、数えて10日目の11月18日が十日夜です。旧暦の月の始まりが今の暦とどれほどずれるかは、和風月名と旧暦のずれの解説で整理しています。

西日本の亥の子は、日付ではなく十二支で日が決まります。旧暦10月のうち、その日の十二支が「亥」にあたる日です。十二支は12日でひと回りするため、亥の日はひと月に2回か3回めぐってきます。2026年の旧暦10月(11月9日から12月8日まで)では11月9日・21日、12月3日の3回で、旧暦10月1日がちょうど亥の日に重なります。一方、香川県丸亀市本島町の福田地区のように、今の暦で「11月最初の亥の日」に行う例もあります。

行事 日の決まり方 2026年の日付
十日夜 旧暦10月10日 11月18日(水)
亥の子(旧暦で行う場合) 旧暦10月の亥の日 11月9日(月)・11月21日(土)・12月3日(木)
亥の子(今の暦で行う例) 11月最初の亥の日 11月9日(月)

表の日付は、国立天文台が公表した朔の日時と日の十二支から当サイトで計算したものです。実際に行う日は土地や団体ごとに違うので、地元の案内で確かめるのが確実です。十二支で日を選ぶ行事としては、11月の酉の日に開かれる酉の市の日付の決まり方も同じ考え方です。

十日夜には何をする?資料に出てくる3つの柱

百科事典や地域の記録をたどると、十日夜の中身はおおよそ次の3つにまとめられます(当サイトの整理)。

  1. 田の神へのお礼:刈り上げを終えた区切りとして、餅やぼた餅を用意して田の神に供えます。「刈上げ十日」という呼び名もあります。田の神がこの日に山へ帰ると説明する辞典もあれば、田を離れて家に戻る日だとする事典もあり、帰り先の説明は一つではありません。春と秋で対にする考え方もあり、福島県を中心とする地域には、2月10日ごろに田の神を迎え、十日夜に送り出すという一往復で捉える所があります。
  2. わら鉄砲の響き:この夜を特徴づけるのが、わらで作った棒状の道具「わら鉄砲」の音です。畑を荒らすモグラや野ネズミを遠ざけたい、という願いのこもった音で、打ち手は子どもたち。百科事典は、群馬県・埼玉県などをその例に挙げています。この行事が受け継がれている土地の例として、群馬県片品村が2023年の紹介記事で取り上げられています。子どもたちの回り方は、後の比較表と「よくある疑問」で取り上げます。
  3. 大根の年取り:東日本には、この日を大根の「年取り」とする土地があり、大根をめぐる言い伝えは大きく二通りに分かれます。ひとつは控える決まりで、大根畑に足を踏み入れない、大根を口にしない、というもの。このうち畑に立ち入らない決まりについては、東北・中部・佐渡の土地が挙がっています。もうひとつは物音を大根の味方とみる考え方で、太らせる力があるとされたのは、わら鉄砲が地面を打つ響きや、臼で餅をつく音でした。

呼び名や供え先には、さらに幅があります。茨城県の西部で聞かれる「地鎮様の日」という別名はその一例で、供え物の向かう先が空の月になる土地もあります。稲の行事でありながら、畑の作物への願いも含まれているとみる百科事典もあり、その見方の手がかりとして挙がっているのが、月への供え物や、わら鉄砲を打つときの唱え言葉です。

宮中や神社で営まれる収穫の祭りとのつながりは、新嘗祭と勤労感謝の日の関係で紹介しています。

長野県の「かかしあげ」:田の見張り役を家に迎える

長野県では、秋まで田に立っていたかかしを十日夜に家へ迎え入れる習わしがあり、「カカシアゲ」や「ソメノ年取リ」と呼ばれてきました。ソメはかかしの呼び名のひとつで、長野や岐阜、愛知の一部の地方で使われています。つまり「ソメノ年取リ」は「かかしの年取り」。同じ日を「大根の年取り」と呼ぶ土地があることと並べてみると、人ではなく、田畑のかかしや大根が年をひとつ重ねる日という見立てが浮かんできます(当サイトの見方)。

事典類に載っている記述を、当サイトで観点ごとに組み直したのが次の表です。

観点 記述の中身 載っている事典
迎える場所 外庭や土蔵 デジタル大辞泉「案山子揚げ」
迎える場所(別の記述) 内庭 日本大百科全書「十日夜」
身なり・持ち物 蓑と笠/箒と熊手 改訂新版 世界大百科事典「案山子」
供え物 餅、二股の大根 同上
この日の行き先の伝え 天に上がる(諏訪地方)/山の神になる(南安曇地方) 同上
収穫後の扱い 焼いてまつる 百科事典マイペディア「案山子」

同じ長野県の中でも、天へ行くとも山の神になるとも伝わり、焼いてまつるという記述まであって、かかしの扱いは一つにそろっていません。迎える場所も、事典によって外庭とも内庭とも書かれています。それでも共通して見えてくるのは、かかしを鳥よけの道具で終わらせず、田の神が宿る目印として大切にする考え方です。改訂新版 世界大百科事典と百科事典マイペディアの「案山子」の項も、この点に触れています。

かかしが家に迎えられるのは、十日夜だけではありません。ブリタニカ国際大百科事典の「亥の子」の項には、亥の子でも、その日にかかしが田から引き揚げられて庭先でまつられる、と記されています。

東の十日夜と西の亥の子を表で比べる

二つの行事を、資料に出てくる要素ごとに当サイトで並べ直しました。地域の例は、記録が確かめられたものに限っています。

比べる点 十日夜(東日本) 亥の子(西日本)
日の決まり方 旧暦10月10日。日付で決まる 旧暦10月の亥の日。十二支で決まり、月に2回か3回ある
おもな分布 関東北部が中心。甲信越や東北の南部にも 近畿から西。太平洋側では関東の一部にも及ぶ
地面を打つ道具 わら鉄砲(稲わら製) 亥の子石(香川県の福田では縄6本)、藁づと。丸い石を使う形が多いのは瀬戸内海の沿岸部
子どもの回り方の一例 群馬県片品村:夕暮れに家々を回り、お菓子やお駄賃をもらう 香川県丸亀市本島町福田:小学生が中心で、神社の境内から家々の庭、三つ辻・四つ辻まで石をついて回る
供えるもの 餅・ぼた餅 新穀の餅・ぼた餅、亥の子餅
大根との関係 「大根の年取り」。畑に入らない言い伝え 西日本にも、亥の子の日と大根畑を結びつけた同じような言い伝えがある
暮らしの節目 資料では特に目立たない 江戸時代には、こたつや炉を使い始める日とされた
都の行事との関係 資料では農村の行事として語られる 平安時代から宮中で亥の子餅を用いる行事があった

並べてみると、日の決め方や道具は違っても、「刈り上げのあとに田の神をもてなし、子どもたちが地面を打って家々を回る」という骨組みはよく似ています。地面を打つことに込めたねらいについても、モグラよけという点で東西を同じ意味のものと読む百科事典があります(世界大百科事典(旧版)の「モグラ」の項)。ただしそこで言われているのは意味の共通点までで、二つの行事が同じところから始まったとまでは書かれていません。

西の様子をもう少し具体的に見てみます。餅を3つほどずつもらいながら家々の門口を打って回ったのは、3、4人ほどの子どもの組。手にした藁づとは、茗荷を芯に仕込んでしっかり束ねたものだったと、鳥取県三朝町の聞き書きにあります。

亥の子は宮中の「亥の子餅」と「こたつ開き」にもつながる

資料で見るかぎり十日夜が農村の行事として語られるのに対し、亥の子には都の年中行事という顔もあります。その中心にある亥の子餅の移り変わりを、百科事典の説明をもとに、餅の中身と役割に分けて当サイトで整理しました。

時代・場所 餅のすがた 役割・願い
中国の俗信 7種入り(大豆・小豆・ササゲ・ゴマ・栗・柿・糖) 亥の刻に食べ、無病を願う
平安時代の宮廷 イノシシの子(うり坊)をかたどった餅 中国の俗信を取り入れた宮中行事。子だくさんのイノシシにちなむ、出産・子育ての祈願の贈り物
室町時代 五色(白・赤・黄・栗・胡麻) 献上・下賜・贈答に使う品
西日本の農村 新米の餅、ぼた餅 作神などへのお供え。親類や、田畑の作業で手を貸してくれた人たちにも配る

江戸時代には、亥の子は冬支度の目安の日ともされていました。国語辞典によると、近世の人々はこの亥の日を境に、こたつや火鉢、炉といった暖房を使い始めていました。近松門左衛門の浄瑠璃『心中天の網島』(1720年)にも、十月の亥の子にこたつを開けた祝いに触れた一節があります。鳥取県立博物館の聞き書きにも、この日に初めてこたつを出したという明治生まれの女性の話が残っています。

十日夜と亥の子の「よくある誤解」

  • 誤解:東日本は十日夜、西日本は亥の子と、きれいに二つに分かれている
    大まかな分布はそのとおりですが、境目ははっきりしません。亥の子は西日本の行事と思われがちですが、百科事典の「田の神」の項によると、太平洋側では東へ延びて、関東の千葉・茨城・埼玉の一部でも見られます。埼玉県秩父には、わらの棒で土をたたいて遊ぶ男の子たちが「十日夜の御祝い」という言葉ではやす一方、その前の日にあたる9日を「亥子の日」と呼び、10日をはさんだ11日には亥の神に亥子餅を供える、という所もありました。二つの名前が同じ土地で重なっていたのです。
  • 誤解:十日夜は月見の行事である
    月への供え物が見られる土地もありますが、資料が中心に置いているのは稲の刈り上げと田の神へのお礼です。辞典は十日夜を10月10日の夕方や夜の行事として説明しています。片品村の紹介記事でも、子どもたちが回り始めるのは日が暮れる頃と書かれています。
  • 誤解:「とおかや」は読み間違い
    国語辞典は「とおかんや」と並べて「とおかや」の読みも載せています。どちらも辞典に載る読み方です。

もうひとつ、「へぇー」を

島根県鹿足郡の旧柿木村椛谷では、亥の子の神は1回目の亥の日に田から大根畑へ、2回目に戸口の敷居へ、3回目に神棚へと上がるという伝えが聞き取られています。神さまの帰り道は、亥の日ごとの三段階でした。

編集:へぇ助

十日夜のよくある疑問

Q. 十日夜と十三夜はどう違う?

A. 十三夜は旧暦9月13日の夜の月を眺める行事で、十日夜はそのおよそひと月後、旧暦10月10日の収穫の行事です。日も目的も別ですが、辞典には、旧暦8月・9月・10月の三つの月見を「三月見」とひとまとめにし、十日夜の空模様で次の年の出来を占った例も載っています。

Q. わら鉄砲を打つとき、何か歌うの?

A. 群馬県片品村の紹介記事によると、子どもたちははやし歌を口にしながら打ちます。朝から晩までの食事の流れを順にたどり、締めくくりに地面を打とうと呼びかける、にぎやかな歌です。同じ記事によれば、あの音は二役を担っています。ひとつはモグラや野ネズミへのおどかし、もうひとつは実りを後押ししてもらうための、神さまへの声援です。打ち終えたあとのわら鉄砲にまつわる言い伝えも出てきます。行き先は茅葺きの屋根の上で、そこへ投げ上げておくことが次の年の豊作につながる、というものです。

Q. 今も見られる?

A. 群馬県片品村では、子どもたちが家々を回る十日夜が受け継がれていると2023年に紹介されています。香川県丸亀市本島町の福田地区の亥の子も、県の資料に2006年撮影の写真つきで載っています。行う日や形は土地ごとに違うので、見学したいときは自治体や地元の案内で確かめてください。

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出典・参考

※十日夜や亥の子の行い方・呼び名・日取りは、地域や家によって大きく異なります。田の神がどこへ帰るかなど、由来や意味には諸説があります。2026年の日付は国立天文台の公表値をもとに当サイトで計算した目安です。