先に結論:2026年の酉の市は、11月7日(土)の一の酉と19日(木)の二の酉の2日で、三の酉はありません。毎年11月、暦の上で日の十二支が「酉」に当たる日がめぐってくるたびに、「おとりさま」と呼ばれる鷲(おおとり)神社・大鳥神社などの神社や寺の門前に熊手の店が立ち並ぶ祭礼で、参る人がおもに祈るのは開運と商いの繁栄です。一の酉が11月6日までに来る年だけ、三の酉まで開かれます。名物の熊手は福をかき寄せる縁起物とされ、買い方や飾り方の習わしは寺社や店によって少しずつ違います。
まずはひとつ、「へぇー」を
「酉の市」は古くは「酉のまち」と呼ばれ、辞典はこの「まち」を祭りの意と説明しています。いち(市)の名で親しまれる行事も、古い呼び名をたどると祭りの顔がのぞきます。
編集:へぇ助
酉の市とは:「おとりさま」の祭りに立つ縁起物の市
この祭礼の舞台になるのは、日本武尊などを祭神とする鷲神社・大鳥神社と、鷲妙見大菩薩をまつる寺です。酉の日が来ると境内から参道にかけて熊手の店が軒を連ね、祭りだけでなく神社や寺そのものも「おとりさま」の名で親しまれています。どれくらいの数の寺社で開かれているかは、資料によって数え方が違います。国立国会図書館の電子展示会は、規模に大小はあるものの、都内でいまも酉の市を開く寺社を40か所以上と紹介し、浅草の鷲神社は都内の開催を十数か所としています。どちらの数字も、おおよその目安として受けとめるのがよさそうです。
世界大百科事典によれば、おとりさまへの信仰には二つの顔があり、武士は武運を、町の人々は開運や商売繁盛を願いました。百科事典マイペディアも、関東の各地に広がる行事として取り上げています。
2026年の日程と、日付の決まり方の早見表
浅草の鷲神社と長國寺は、2026年(令和8年)の酉の市をそろって11月7日(土)と19日(木)の2日と案内しています。鷲神社では両日とも午前0時から24時まで行われ、それぞれの前夜、午後11時15分には宵宮開運福寿祭などの前夜祭が始まります。時間の決め方は寺社ごとに違うため、ほかの寺社へ出かけるときは各寺社の案内で確かめてください。
日付を決めているのは暦の「日の干支」です。年に十二支があるように、日にも子・丑・寅…と十二支が順番に割り振られていて、酉の日は12日に一度めぐってきます。11月で最初の酉の日が一の酉、その12日後が二の酉、さらに12日後がまだ11月なら三の酉です。つまり一の酉が11月1日から6日に来る年は三の酉まであり、7日から12日に来る年は二の酉までになります。
| 年 | 一の酉 | 二の酉 | 三の酉 |
|---|---|---|---|
| 2026年 | 11月7日(土) | 11月19日(木) | なし |
| 2027年 | 11月2日(火) | 11月14日(日) | 11月26日(金) |
| 2028年 | 11月8日(水) | 11月20日(月) | なし |
| 2029年 | 11月3日(土) | 11月15日(木) | 11月27日(火) |
| 2030年 | 11月10日(日) | 11月22日(金) | なし |
2026年は鷲神社・長國寺の発表どおりです。2027年以降は、当サイトが日の干支の12日周期から計算した目安なので、実際の開催日と時間は各寺社の発表を確認してください。
なお江戸時代の「11月」は旧暦の霜月で、今の暦に直すとおおむね12月前後にあたります。いまは新暦の11月に行うのがふつうなので、江戸の酉の市は今よりひと月ほど遅い、冬の深まった時期の行事だったことになります。月の呼び名と旧暦のずれは霜月など和風月名の由来と旧暦とのずれで整理しています。
由来は一つではない:寺社ごとの言い伝えを比べる
酉の市がどこで、どう始まったかは、寺社によって伝える話が違います。国立国会図書館の電子展示会も、浅草の鷲神社の祭神にちなむ説、長國寺の鷲妙見大菩薩のご開帳に合わせた門前市とする説、足立の大鷲神社の祭礼とする説の三つを並べています。各寺社の案内と辞典の記述を、当サイトで表にしました。
| 寺社(所在地) | 伝える由来・位置づけ | 資料 |
|---|---|---|
| 鷲神社(台東区千束) | 例祭を11月の酉の日に営む理由を、祭神の一柱である日本武尊のお礼参りがこの日だったという伝説に置く。熊手の縁起も同じ伝説の武具に結びつける。公式サイトの名前に「酉の市起源発祥」を掲げる | 鷲神社公式サイト(「御由緒」ほか) |
| 長國寺(台東区千束・法華宗) | 江戸時代には鷲大明神の別当(神社を管理する寺)を務めた。明和8年(1771年)ごろに鷲妙見大菩薩を迎えてから「新の酉」として一気に名が広まったとする | 長國寺「酉の市(由来と歴史)」 |
| 大鷲神社(足立区花畑) | 江戸時代には「本酉」と呼ばれた。祭りに立った農具の市で、熊手が縁起物に転じたとみる説がある | 日本大百科全書、世界大百科事典 |
| 勝専寺(足立区千住) | 江戸時代、花又村の「本の酉」、浅草の「新の酉」と並んで「中の酉」と呼ばれた | 長國寺「酉の市(由来と歴史)」 |
| 大鳥神社(目黒区下目黒) | 市の起こりを1835年(天保6年)の一の酉に置く。きっかけは、地元の造り酒屋が浅草の熊手を取り寄せたことだったという。神社は区内最古とされる | 目黒区「歴史を訪ねて 大鳥神社」 |
祭神の伝説を起こりとする神社、仏の像を迎えた時期を節目とする寺、農具の市から始まったとみる説、と出発点がそれぞれ違うのが分かります。目黒のように、浅草の熊手を取り寄せたことから市が始まったと伝える土地もあります。本社がどこかという点も一筋縄ではいきません。日本大百科全書が関東での本社に挙げるのは埼玉県久喜市の鷲宮神社です。同じ事典は大阪府堺市の大鳥神社を本社とする見方にもふれていますが、そちらと関東のおとりさまがどうつながるのかは分かっていないとしていて、断定を避けた書き方になっています。
江戸時代の後期には、浅草の酉の市がもっとも名高くなりました。長國寺は、東隣に新吉原があったことも人出を後押ししたと説明しています。神社と寺が一つの祭りを支える形は、寺が神社を管理していた時代のつながりによるものとみられ、今も同じ千束三丁目の鷲神社と長國寺が、同じ日にそれぞれ酉の市を営んでいます。神社と寺の役割の違いは神社とお寺の違い(まつる対象・建物・歴史)が参考になります。
熊手と縁起物:かき寄せる道具に重ねた願い
熊手が縁起物とされる理由は、形と働きの二つから説明されます。形の面では、先の曲がった爪が、福をつかみ取る鷲の爪に見立てられます(国立国会図書館)。働きの面では、落ち葉を集める道具であることから、福やお金を手元へかき寄せる願いが重ねられてきました。ただし最初から今の華やかな姿だったわけではありません。鷲神社の御由緒によれば、さまざまな飾りが付くようになったのは天保の初めごろより後のことです。それ以前、江戸中期からの熊手はふだん使う道具とほとんど変わらない姿で、飾りといえばおかめの面と四手くらいだったといいます。
浅草の酉の市で手に入る熊手は、大きく2種類です。
- 熊手のお守り:神社や寺が授ける小さな熊手。鷲神社では「かっこめ」と呼び、酉の市の日にだけ授けています。
- 飾り熊手:境内や参道の熊手店が売るもの。同じ大きさでも、付ける飾りの種類や数で値段が変わります。
酉の市で売られてきた縁起物は熊手だけではありません。同じ品でも、浅草と目黒では説明の筋道がかなり違います。願いの中身と、土地ごとの説明の違いを、当サイトで表にまとめました。
| 縁起物 | 込める願い | 浅草(鷲神社)での説明 | 目黒(目黒区の案内)での説明 |
|---|---|---|---|
| 八つ頭(里芋の一種) | 出世・子宝 | 子宝は一つの芋から芽がたくさん出る性質に、出世は「頭の芋」という別の呼び名にちなむ | 神前への供え物。日本武尊が東征で八つの部族の長を平らげた手柄をかたどったもので、のちに出世の縁起物にもなったとする |
| 熊手 | 福や金運を寄せ集める | 日本武尊が戦勝を祝って社前の松に掛けた武具の伝説と結びつける | これも供え物。焼き討ちに遭った尊が熊手で火を防いだという故事をしのぶもので、のちに家へ宝をかき込む縁起物になったとする |
| 黄金餅(粟餅) | お金に恵まれる | 粟を混ぜた餅の黄色を小判の金色に見立てた。いまは商う店がなくなったという | (案内には記載なし) |
並べてみると、浅草では八つ頭も黄金餅も「呼び名や色、芽の出方を願いに重ねる」説明が中心なのに対し、目黒では日本武尊の武勇を伝える供え物として語られ、それが時代とともに暮らしの願いを込める品へ移っていったと説明されています。同じ熊手でも、浅草では戦勝の伝説の武具、目黒では火から身を守った道具と、背負っている物語が違うのは興味深いところです。
熊手の買い方・飾り方:鷲神社と長國寺の案内を比べる
熊手店では、値段が決まると店の人と買った人が手締めをして、商いがまとまったことを祝います。世界大百科事典によれば、酉の市で買う縁起物には、値が安く済むほど縁起がよいとする考えがあったといいます。ところが鷲神社と長國寺が昔の粋として紹介するのは、まけてもらった差額をそっくり祝儀に回して店へ渡す買い方です。値切るやりとりを楽しみつつ、結局は店にも福を回すという、遊び心のある習わしです。
| 項目 | 鷲神社の案内 | 長國寺の案内 |
|---|---|---|
| ご祝儀 | 昔の粋な習いとして、まけてもらった差額を店に渡す話を紹介 | 出すかどうかは自由。昔からの習わしという位置づけ |
| 飾る場所 | なるべく高い所 | 第一候補は玄関(入口のほうへ向け、やや高い位置)。玄関以外なら部屋の中のやや高い位置 |
| 向き | 南か東を向けるのが最もよい。それが無理なら、北向きにさえしなければよい | 正面が北を向かなければよい(南・東・西など) |
| 古い熊手 | 授かった寺社に納めてお焚き上げを頼む(料金を添える)。納めて買い換えるなら、新しい熊手を飾るのに待つ期間はいらない | 酉の市の日は、両寺社の入口に設けられる熊手納め所へ。その日に行けないときは、小さなものなら近くの寺社のお焚き上げに納める方法も |
高い所に飾り、北向きを避ける点は両者に共通ですが、玄関を第一に挙げるかどうかなど、細かなところは違います。祝儀を出すかどうかや手締めのしかたに迷ったら、その場で店の人に聞いてみるのが確かです。家の神棚の場所や高さの一般的な考え方は神棚の祀り方(場所・向き・高さ)にまとめています。
酉の市のよくある誤解
- 誤解:一の酉に行かないとご利益が薄い
鷲神社の案内では、ご利益は何回目の酉の日に参っても同じで、行きやすい日を選べばよいとされています。 - 誤解:三の酉はめったにない
上の決まり方のとおり、一の酉が11月6日までに来れば三の酉があります。当サイトの計算では2024年から2031年の8年のうち4回で、おおよそ2年に1回の割合です。 - 誤解:三の酉の年は本当に火事が増える
「三の酉の年は火事が多い」は昔からの言い伝えで、鷲神社も由来ははっきりしないとしています。そのうえで鷲神社の解説は、三の酉があった明暦2年の翌年に明暦の大火(1657年)が起きた重なりを手がかりにする見方のほか、空気が乾く季節に火の用心を呼びかけた説、吉原へ通う夫を引き止めたい女性たちが広めた説を挙げています。三の酉の年には熊手と一緒に火防(ひぶせ)のお札やお守りも授けられるといい(国立国会図書館)、火の元を見直すきっかけと受けとめるのがよさそうです。
もうひとつ、「へぇー」を
「山椒」と名が付くのに、切山椒は砂糖を加えた甘い餅菓子です。甘い菓子の少なかった江戸では市で買える甘味が喜ばれたといい、今も熊手と並ぶ酉の市のおみやげです。
編集:へぇ助
酉の市のよくある疑問
Q. 何時ごろに行けばいい?
A. 浅草の鷲神社は、酉の日の0時から24時までと案内しています。長國寺の案内によると、境内近くでは、酉の日の前の晩の夜7時ごろに店を開ける露店が一部あります。そして酉の日の夜も多くの露店がにぎわい、日付が酉の日の翌日に変わった午前2時ごろまで続きます(天候や曜日で増減があります)。寺社によって時間が違うので、出かける前に確かめましょう。
Q. 熊手の大きさはどう選ぶ?
A. 鷲神社は、先に予算と好みを決め、境内をひと回り見てから選ぶよう勧めています。最初は小さなものにして、商いや家の繁盛に合わせて少しずつ大きくしていくともいわれます。
Q. 「おとりさま」と鳥にはどんな関係がある?
A. 結びつく鳥は、土地によって違います。浅草の鷲神社は、祭神の一柱・天日鷲命(あめのひわしのみこと)の名を、天の岩戸の神話に現れた鷲を神々が吉兆として喜んだ話にちなむと伝えています。一方、目黒区の案内によれば、目黒の大鳥神社には、日本武尊の御霊が白鳥となって現れ、鳥明神としてまつられたという伝えがあります。同じ「おとりさま」でも、浅草では鷲、目黒では白鳥の姿で語られるわけです。
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出典・参考
- 今年の酉の市|浅草 鷲神社公式ホームページ
- 酉の市とは 御由緒|浅草 鷲神社公式ホームページ
- 酉の市豆知識|浅草 鷲神社公式ホームページ
- 熊手・御守等の祀り方|浅草 鷲神社公式ホームページ
- 酉の市(由来と歴史)|浅草・酉の市2026(法華宗 鷲在山 長國寺)
- 酉の市Q&A|浅草・酉の市2026(法華宗 鷲在山 長國寺)
- 酉の市って?|NDLイメージバンク(国立国会図書館 電子展示会)
- 歴史を訪ねて 大鳥神社|目黒区
- 酉の市(トリノイチ)とは? 意味や使い方|コトバンク(デジタル大辞泉・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典・百科事典マイペディア)
※酉の市の由来は寺社ごとに伝えが異なり、諸説あります。開催日・時間、熊手の値段や祝儀、手締めの作法は寺社や店によって違います。2027年以降の日付は暦からの計算による目安です。