絵馬の書き方と意味は?生きた馬から板絵になった由来と、持ち帰り・名前の扱い

先に結論:絵馬は、生きた馬の代わりとして神に献じる品が、馬の形の品から板の絵へと移って生まれたと説明されています。書き方に全国共通の書式はなく、願いの数や、名前・住所をどこまで書くかは寺社の案内で違います。書いた絵馬は境内の絵馬掛けに納めて帰る形が一般的です。ただ、持ち帰って家でまつってよいと案内する神社もあり、迷ったら授与所でたずねるのが確実です。

まずはひとつ、「へぇー」を

能には『絵馬』という一曲があります。伊勢の斎宮で節分の夜に掛かる絵馬が白馬なら晴れ、黒馬なら雨の多い年と占ったと伝わる行事が題材で、劇中の老夫婦は白黒両方を並べて掛けます。

編集:へぇ助

本物の馬が「板の絵」になるまで

実物で確かめられる古い絵馬の代表は、大阪市の前期難波宮跡で1999年に見つかった、7世紀中ごろの破片です。648年にあたる「戊申年」と記された木簡と同じ地層から出ており、愛知県図書館がレファレンス協同データベースに寄せた回答も、これを現存最古の絵馬に挙げています。

文字の記録では、平安時代の『類聚符宣抄』に、生きた馬に代えて「板立御馬」を奉納させた記事があるとされます(同じ回答が引く資料による)。

馬を贈って祈った様子は、神社の伝えからもうかがえます。奈良県東吉野村の丹生川上神社の公式サイトは、『続日本紀』の天平宝字7年(763年)の記事として、日照り続きのため畿内の神々に幣帛を奉り、丹生川上にはさらに黒馬を加えたことを紹介しています。京都の貴船神社の公式サイトも、ひでりには黒馬、長雨には白馬か赤馬を献じたと伝えます。毛色で、雨を呼ぶか止めるかを言い分けていたのです。

見上げる大絵馬と、手のひらの小絵馬

大絵馬の例には、北野天満宮(京都市)があります。1608年に豊臣秀頼が絵馬を掛けるための建物を設けたと世界大百科事典にあり、同じ年には長谷川等伯が70歳で描いた重要文化財「昌俊弁慶相騎図」が奉納されました。縦2.75m、横4.07mの画面を黒馬が駆けます。いまの絵馬所は元禄年間の建物で、建てた年を神社の公式サイトは1699年(元禄12年)、京都市の文化財の解説は1700年(元禄13年)としています。京都市指定有形文化財です。同じ事典によれば、馬以外の絵柄や大きな板は室町時代ごろから増え、掲げるための建物は桃山時代に現れました。

比べる点 大絵馬(額絵馬) 小絵馬
大きさ 人の背丈を超えるものもある 片手で持てる板
描き手 長谷川等伯のように名高い絵師の作も残る いまは絵の入った板を受け、本人が願いを書き込む。鏡絵馬は化粧も本人
込める願いの例 等伯の絵馬の読みにくい墨書に、文化遺産データベースは仮の読みとして「武運長久」「息災延命」などの語を挙げる(一部は字を補った読み) 鏡絵馬は美しくなる願い、八つ目の絵馬は目の病の平癒
掛ける場所 北野天満宮の絵馬所のような、絵馬のための建物 境内の絵馬掛け。持ち帰りを認める神社も

八つの目、牛、手鏡:絵柄で願いを伝える

目を八つ並べた絵馬があります。福岡市博物館の解説では、「八」を薬師の「や」に掛けたともいわれる図柄です。川崎市の影向寺は、日本大百科全書が目の絵馬の例として名前を挙げるお寺で、本尊は薬師如来です。

天神さまの牛、お稲荷さんの狐のように、まつる神仏の使いとされる動物も昔からの定番です。今の授与品には、形や選び方にも寺社ごとの工夫があります。

  • 河合神社(京都市・下鴨神社の摂社):手鏡の形の「鏡絵馬」。顔の模様に自分の化粧品でメイクをし、裏に願いを書く。
  • 神田明神(東京都):祈願・えんむすび・神馬あかりの絵馬があり、違いは大きくないので好きな絵柄でよいとする。

願いの書き方は、寺社の案内で確かめる

「絵のない面に願いと住所・氏名」という型がよく紹介されますが、全国で決まった書式はありません。公式サイトの案内を3か所比べてみます。

寺社 願いの数 名前・住所 ほかの案内
産泰神社(群馬県前橋市) 複数書いても問題ない 必須ではない。下の名前やイニシャルだけでもよい 縦書き・横書きどちらでもよい。油性ペンがおすすめ
村松虚空蔵尊(茨城県東海村・寺院) 一つにしぼるのが一般的 住所は市区町村まで、名前はイニシャルなどにする人も増えている 絵のない面に書く。両面とも無地ならどちらでもよい
神田明神(東京都) 数の案内はなし。書き方全体に特に決まりはないとする 基本は願いと名前。ただし個人情報など見られて困ることは控えて 他人を中傷する内容は遠慮を

願いの数だけでも案内は正反対に近く、納める先の考え方に合わせるのが自然でしょう。ほかの参拝者に見られる前提で書くよう促すのは産泰神社と神田明神で、村松虚空蔵尊は、個人情報を守る目線から住所と名前の書き方に触れています。産泰神社は、お参りを済ませてから絵馬を受けるよう勧めています。参拝の順番は神社の二礼二拍手一礼とお寺の合掌、参拝の流れで確認できます。

名前を伏せる工夫は、昔の絵馬にも

願いを人に読まれたくない気持ちは昔もあったようで、福岡市博物館の解説によれば、正体を明かしたくない人は名前の代わりに十二支を描き、性別や年齢、住所を添えて自分の願いだと示したといいます。

いまは書いた面に貼る目隠しシールが広がっています。2023年10月のまいどなニュースの取材では、対応が分かれていました。

  • 猿田彦神社(三重県):2010年頃に社紋入りのシールを作り、7〜8割の人が貼る。
  • 下鴨神社(京都市):取材の15年ほど前に導入し、ほとんどの人が使う。
  • 西宮神社(兵庫県):2005年ごろの業者の提案は採用せず、持ち込みのシールは個人の自由とする。

西宮神社は、絵馬はもともと神さまにも人にも見てもらうものとしつつ、隠したい気持ちにも理解を示しています。見えなくしても願いは届く、というのが取材先の神社の答えでした。

掛けて帰るか、持ち帰るか

一般には境内の絵馬掛けに納めて帰りますが、産泰神社は持ち帰っても問題ないとし、一緒に受けたお札と神棚にまつるか、神棚がなければ目線より高い清らかな場所に置き、願いがかなうか1年たったら神社へ納めるよう案内しています。河合神社のように、奉納する鏡絵馬とは別に持ち帰れるお守りを用意する所もあります。納める先の受け付け範囲は社寺ごとに違うため、お守りの返し方と、社寺ごとの受付の違いも参考にしてください。

絵馬についてのよくある誤解

誤解1:絵馬の発祥地は一か所に決まっている

丹生川上神社は、自社が「絵馬発祥の神社のうちの一社」と伝わると紹介しています。毛色の祈り分けも、先に見た2社に伝わります。出土品も一か所ではなく、難波宮跡の破片は飛鳥時代(7世紀中ごろ)のもので、世界大百科事典によれば奈良時代の絵馬も伊場遺跡(静岡県浜松市)などから出ています。起源は一つに決めないのが穏当です。

誤解2:絵馬は神社だけのもの

ブリタニカ国際大百科事典は、古い遺品として奈良の秋篠寺や興福寺東金堂の絵馬などを挙げ、中世には仏教寺院への奉納も起こったと説明しています。先に挙げた影向寺も、書き方を案内する村松虚空蔵尊もお寺です。神社とお寺がいつ、どう分かれたのかは神社とお寺の違いと、同じ境内だった時代で整理しています。

もうひとつ、「へぇー」を

福岡市博物館が2002年の企画展示で紹介した京都・三嶋神社の絵馬には、鰻が描かれていました。子を願うと2匹、かなうと3匹の絵馬を納め、増えた1匹が授かった子を表すという解説です。

編集:へぇ助

絵馬のよくある疑問

Q. 本人が行けないとき、家族が代わりに書いてもよい?

A. 産泰神社は、遠方の人や参拝できない人の願いを、代理の人が書いても問題ないと案内しています。

Q. 絵馬を自分で用意して持って行ってもよい?

A. 村松虚空蔵尊は、持参してもかまわないと案内しています。よそで受けた絵馬を掛けたいときは、授与所でひと声かけると安心です。

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出典・参考

絵馬の授与のしかたや書き方の案内は、寺社ごとに異なり、変わることもあります。納める先の掲示や公式の案内を優先してください。