破魔矢の飾り方と向きは?寺社の案内を比較|意味・名前の由来と返し方

先に結論:破魔矢(はまや)は、正月を中心に神社やお寺で授かる魔除けの縁起物です。もとは正月に的を射る弓の行事(宮中の儀式や遊び・年占い)に由来するとされ、「破魔」の字は「はま」という言葉に後から当てたものとされます。飾る場所は神棚や床の間のような清らかな所が目安です。矢先の向きは寺社によって案内が分かれ、決まった方角はないとする神社本庁の説明もあります。1年たったら授かった寺社へ納めるのが一般的です。

まずはひとつ、「へぇー」を

明治神宮の破魔矢(同宮での名は守護矢)の羽は、実は七面鳥。昭和44年の正月から、見栄えが今ひとつだったニワトリの羽に代えて使い始め、軸も竹から檜に改めたと神宮のQ&Aは説明しています。

編集:へぇ助

寺社で授かる破魔矢と、初正月の破魔弓飾りは扱いが違う

「破魔矢」と呼ばれるものには、主に初詣などで寺社から授かる矢と、男の子が初めて迎える正月に飾る弓矢の飾り物(破魔弓)があります(ほかに家を建てるときの飾りも)。扱いは別です。

比べる点 寺社で授かる破魔矢 初正月の破魔弓飾り
手に入れる場所 神社・お寺の授与所 贈り物として用意される。祖父母をはじめ、おじ・おばや仲人、友人から贈られる習わし(日本人形協会)
込められる願い 災いを遠ざける魔除けの縁起物(神社本庁) 男の子の健やかな成長と魔除け(日本人形協会)
飾る期間 1年間が目安(神社本庁) 12月中旬以降に出し、1月15日ごろにしまう(日本人形協会)
役目を終えたら 授かった寺社へ納め、新しいものを受ける しまって保管する。五月人形の脇飾りにしてもよいとされる(日本人形協会)

神社本庁の説明では、破魔矢には年ごとの干支を描いた絵馬や鈴が添えられます。石清水八幡宮は矢を「おふだ」の一つとし、厄年の人向けに七色の房付きの矢も授けています。

「はま」は何を指していたのか:辞典などに見る3つの説

「破魔」の字面は魔を打ち破る矢を思わせますが、辞典類はもとは「はま」への当て字だと説明し、「浜弓」と書く例も載せています。その「はま」の中身は、資料ごとに焦点が違います。

説 「はま」と呼んだもの 説明している資料
的の穴 縄の輪(直径約30cm)の中央の穴(6〜9cm) 世界大百科事典(江戸時代の『貞丈雑記』を引く)、百科事典マイペディア
的そのもの 藁や縄で作った輪、または弓の的 百科事典マイペディア、日本人形協会
占いの名 ハマと呼ばれた神占(かみうら)。輪や円座、板を的にして射る正月の年占(その年の吉凶を占うこと) 日本大百科全書

的そのものではなく、輪の中の「穴」を「はま」と呼ぶ土地があったと伝えるのが、江戸時代の『貞丈雑記』です。世界大百科事典の紹介では、その土地は大和国吉野郡(今の奈良県)と土佐国(今の高知県)で、子どもが弓を楽しむ正月の話でした。3つの説の舞台はいずれも正月の弓遊び・弓占いです(宮中の儀式に起こりを求める辞典は年表で紹介します)。日本大百科全書は、男の子の祝い品や神社の授与品までハマユミ・ハマヤと呼ぶようになった背景に、「破魔」という当て字の後押しがあったとみています。

記録でたどる、正月の弓射から縁起物への変化

  1. 平安時代:宮中の正月行事に、弓の儀式「射礼(じゃらい)」がありました。日本大百科全書によれば、射手を務めたのは親王や官人で、日取りは正月17日、舞台は建礼門の前。応安年間(1368〜75年)以後に途絶えました。破魔矢の起こりをこの儀式に求める辞典もあります。
  2. 戦国時代〜江戸初め:精選版日本国語大辞典は、毛利輝元の書状(1565年ごろ)に見える「はま矢」と、室町末から近世初めの狂言台本に出る「はまゆみ」を、それぞれの語の早い用例に挙げています。
  3. 江戸時代:破魔弓には二つの顔がありました。一つは射て遊ぶ道具で、百科事典マイペディアは、転がした輪(はま)を的にする男の子の正月遊びがあったとしています。もう一つは飾って贈る品で、押絵の戦人形と弓矢をあしらった飾り板でした。日本大百科全書は初正月の、精選版日本国語大辞典は初節供の贈り物とし、ブリタニカ国際大百科事典は、この男児の祝い品をとりわけ九州の離島などで見られた習俗としています。
  4. いま:水引で飾った箱入りの弓矢が多いとブリタニカは述べ、神社本庁は、弓とそろいだった飾りが省かれ、正月に神社が矢だけを授ける今の形になったとみています。

飾る場所と矢の向き:寺社の案内を並べてみる

案内を比べると、矢先の向きで答えが分かれます(各案内の要約。変わる場合があります)。

案内元 飾る場所 矢先の向き
神社本庁 神棚や床の間など清らかな場所 決まった方角はない
石清水八幡宮(八幡御神矢) 家にまつる「おふだ」の近く 矢の先(羽根のない方)を下に。または南・東向き
白崎八幡宮(山口県岩国市・授与品の通販ページ) 神棚や床の間。外からの災いを破る意味で玄関も 記載なし
村松虚空蔵尊(茨城県・お寺) 神棚や床の間。なければ居間や子ども部屋。目線より高く 気にしなくてよい。気になるならその年の凶の方角へ

方角は寺社で違っても、清らかで大切に扱える所を挙げる点はおおむね共通です。迷ったら授かった寺社の案内に従いましょう。

返す時期と返し方:受け付けのルールは寺社ごと

神社本庁の説明でも破魔矢は1年間飾るもので、石清水八幡宮も、おふだ・お守りは毎年新しく受けるのがもっとも丁寧だと答えています。返す先は授かった寺社が基本で、村松虚空蔵尊は、お寺で受けたものはお寺へ、神社で受けたものは神社へと案内しています。

破魔矢は、お守りとは別の扱いになることもあります。札幌護國神社は令和5年(2023年)のどんど焼きの案内で、他社で授かった破魔矢や熊手をお守りとは別の初穂料で1本ずつ受け付け、仏教など他宗教のものは受け取らないとしていました。埼玉県の白岡八幡神社も、2020年12月の案内で破魔矢の鈴を納め所で外すよう求めていました。お守りについてはお守りの返し方と、ほかの寺社に返せるかで比べています。

札幌護國神社のように、どんど焼き(左義長)の受付期間に破魔矢を預かる神社もありますが、受け付ける物は会場ごとに違います。行き先ごとの注意点は正月飾りの片づけと外した飾りの行き先にまとめています。

破魔矢をめぐるよくある誤解

  • 誤解1「矢先は必ず凶の方角や鬼門に向ける」:上の表のとおり統一の決まりはなく、神社本庁も方角を定めていません。
  • 誤解2「破魔矢は神社だけのもの」:お寺である村松虚空蔵尊の解説も、破魔矢を授かる先として神社と並べてお寺を挙げています。返すときは、授かった先がお寺か神社かを取り違えないように。
  • 誤解3「“魔を破る”が名前の始まり」:辞典類の説明では「破魔」は「はま」への当て字です。魔を破る矢と受け取られるようになったのは、その字が当てられてからだとされます(世界大百科事典)。

もうひとつ、「へぇー」を

音を立てて飛ぶ鏑矢を上に、先が二股に分かれた雁股矢を下に。家の上棟式で屋根に飾る檜の2本の破魔矢は、この向きで立てると国語辞典は説明しています。

編集:へぇ助

よくある疑問

Q. 喪中の年に破魔矢を受けてもいい?

A. 破魔矢だけの決まりは見当たらず、参拝の考え方が目安です。神社は忌中(仏式で四十九日、神式で五十日が目安)は控え、忌明け後はよいとする案内が多く、お寺は差し支えないとされることが多い、という違いを初詣と喪中・忌中の考え方で整理しています。

Q. 神棚も床の間もない家ではどこに置く?

A. 村松虚空蔵尊は、居間や子ども部屋の目線より高い所を挙げ、壁に付けた小さな棚やフックに寝かせて置いてもよいとしています。

Q. 初詣以外の機会にも受けられる?

A. 村松虚空蔵尊は、七五三や、男の子が初めて迎える正月のお参りで破魔矢を授かる風習もあると紹介しています。受けられる時期は寺社ごとなので、公式案内で確かめましょう。

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出典・参考

※破魔矢の飾り方・返し方は、寺社や地域、家庭によって異なり、案内が変わることもあります。本記事は辞典類と寺社の公式案内をもとにした一般的な目安です。