合掌の意味とは?手の高さ・角度の宗派差と、右手と左手が表すものを資料で比較

先に結論:合掌は、左右の手を一つに合わせて、仏さまや相手への敬いを示す作法です。仏教が生まれる前からインドにあった敬礼を、仏教が受け継いだものと説明されています。手の高さや角度は宗派の案内で違い、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派は胸からみぞおちのあたりで指先を約45度に向け、曹洞宗系の愛知学院大学禅研究所の坐禅の手引きは指先を鼻の高さにそろえます。右手を仏、左手を衆生にあてる説明が事典にありますが、たとえ方は解説する人によって異なります。

まずはひとつ、「へぇー」を

円覚寺の横田南嶺管長が引く岩波書店『仏教辞典』によると、密教の合掌は五大の溶け合う形。5本の指それぞれに地・水・火・風・空をあて、仏と衆生の五大が一つになると解釈するそうです。

編集:へぇ助

インドの敬礼を、仏教が受け継いだ作法

合掌は、サンスクリット語の「アンジャリ」を訳した言葉です。改訂新版『世界大百科事典』は、インドに昔からあった敬礼のしかたを仏教が取り込んだものと説明しています。真宗大谷派の公式サイトも、合掌の歴史を仏教より古いものとして説明し、仏教徒が取り入れた作法と位置づけています。7世紀の玄奘の旅行記『大唐西域記』は、インドの敬礼を9つの段階に分け、その4番目に合掌を数えています(新纂浄土宗大辞典による)。

中国では、敬いの形が違っていました。6世紀の高僧・智顗(天台大師)の講説を記した『観音義疏』は、中国では両手を胸の前で組む拱手(きょうしゅ)が、インドでは合掌が敬意の形だと書き分けています。そのうえで、もともと別々の二つの手を一つにまとめるのは、心が散らずに一つであることを示すのだと解いています。日本では、天平19年(747年)の年紀をもつ元興寺の資財帳に、天皇が座を立って合掌したという一節があり、精選版 日本国語大辞典はこれを最初の用例に挙げています。

右手と左手は何を表す?資料ごとの意味づけ

両手を合わせる理由は、どちらの手に何をあてるかという形で語られることがよくあります。ただ、割り当て方は資料によって同じではありません。主な説明を並べました。

説明している資料 右手 左手 合わせた形が表すもの
改訂新版 世界大百科事典(岩松浅夫) 仏(インドでは清浄な手) 衆生(インドでは不浄な手) 仏と衆生が一体になった、成仏の姿
新纂浄土宗大辞典「合掌」 仏界(密教の書『行法肝要鈔』)。江戸時代の浄土宗の学僧・義山も仏とする 衆生界・衆生 衆生が仏に帰依する心(義山『観経随聞講録』の一節)
日蓮宗ポータルサイト(仏教・仏事のQ&A) インドで清浄を表す手 インドで不浄を表す手 仏さまと自分たちが一つになれる形。左右それぞれが表すものを合わせる点にその意味を見る
臨黄ネット(臨済宗南禅寺派の住職・平尾宗信師、2005年) 「私」にたとえる その場合は仏さま(神道なら神様) 自分と仏さまが一つになる
『観音義疏』(新纂浄土宗大辞典が引用) 左右の割り当てはしない 二つの手を一つにして、心を散らさない

世界大百科事典と新纂浄土宗大辞典は、右手を仏、左手を衆生とする組み合わせで説明しています。一方、平尾師の文章は「右手を私とすれば左手は相手」という身近なたとえから入るもので、左右の約束事として述べたものではありません。表の5つのうち4つは、仏と衆生、自分と仏さま、左右の二つの手というように、別々のものを一つにする形として合掌を説明しています。新纂浄土宗大辞典が引く義山の『観経随聞講録』の一節は、衆生が仏に帰依するという心の向きのほうを語っています。もっとも同じ辞典によれば、義山は『無量寿経随聞講録』では、合掌を心が一つであることを表す形として説いています。

手の形:高さ・角度・ひじの扱いは宗派の案内で違う

手の合わせ方を具体的に示している宗派の公式サイトや、宗門の辞典・大学の手引きを読み、当サイトで項目をそろえて比べました。「記載なし」は、そのページに書かれていないという意味です。

宗派(資料) 手を置く位置 指先の向き ひじ すき間
浄土真宗本願寺派(公式サイトのよくあるご質問) 胸の前 指先を伸ばし、体から45度の方向へ 記載なし 記載なし
真宗大谷派(公式サイトの暮らしに関するQ&A) 手首がみぞおちのあたり 側面から見て、体とおよそ45度の角度 張らない 指の間まで閉じる
浄土宗(新纂浄土宗大辞典「堅実心合掌」) 胸のあたり 体からおよそ45度傾けるのが目安 記載なし 両手のひらの間を空けない
曹洞宗系(曹洞禅ネット・愛知学院大学禅研究所) 指先が自分の鼻の高さ(禅研究所) 指をまっすぐそろえる(曹洞禅ネット) 腋の下から離す(禅研究所) 記載なし
日蓮宗系(日蓮宗ポータルサイト・日蓮宗霊断師会のQ&A) 中指の先が喉くらい、親指の第一関節をみぞおちのあたりに(霊断師会) 記載なし 記載なし 手のひらを隙間なく(ポータルサイト)

並べると、浄土真宗の両派と浄土宗の辞典は、胸の前で指先を体から約45度に向ける点でほぼそろっています。これに対して曹洞宗系の愛知学院大学禅研究所の坐禅の手引きは、指先を鼻の高さまで上げ、ひじを脇から離す形を示していて、横から見た姿がかなり違います。ひじの扱いも、大谷派は張らないように、禅研究所は腋の下から離すように、と書き方が異なります。

すき間をつくらないのはなぜ?

手のひらを密着させる考え方には古い裏づけがあります。北宋の天禧3年(1019年)にまとめられた仏教の手引書『釈氏要覧』は、指先だけを合わせて手のひらを離すのは、心がおごって気持ちが散っている表れだとして、指も手のひらもぴったり着けるよう戒めています(新纂浄土宗大辞典による)。

指をそろえるか、組むか:合掌の種類と「叉手」の二つの意味

密教には「十二合掌」と呼ばれる12通りの合わせ方があります(改訂新版『世界大百科事典』)。名前には「未敷蓮華(みふれんげ)」「初割蓮」のように蓮の花にちなむものも含まれます。同事典が基本の二つに挙げるのは堅実心合掌と帰命合掌(金剛合掌とも)で、前者はぴったり密着させる形、後者は指先を互い違いに組んで右手の指を上にする形です。実際の宗派での使われ方を、手の形の系統ごとに整理しました。

手の形 呼び名 どこで、どう使われるか(資料)
指と手のひらを密着させる(世界大百科事典の説明) 堅実心合掌 浄土宗の『法要集』は、大勢が同列に並ぶ場ではこの形にそろえるよう定めている(新纂浄土宗大辞典)。同辞典の「合掌」の項は、『大日経疏』がこの合掌を十本の指先をわずかに離す形として説いていることも引いている
十本の指先を交互に交える(右手の指が上) 帰命合掌・金剛合掌。浄土宗では叉手合掌と呼ぶ 浄土宗では『観無量寿経』の「合掌叉手」にもとづき、本来は重んじられる形。指は深く組まない(新纂浄土宗大辞典)。真言宗豊山派の公式サイトのコラムは、修行の手順として手に金剛合掌を組むと紹介
片手を握り、もう片方の手で覆う 叉手(しゃしゅ) 曹洞宗では坐禅堂に出入りするときや歩くときの手。親指を内側に入れて握った左手を、右の手のひらで覆う(曹洞禅ネット)。ご本尊への礼や両隣・向かいの人への挨拶は合掌で行うが、経行(きんひん)を終える合図の鐘で立ち止まったときなど、叉手のまま頭を下げる場面もある(曹洞禅ネット・禅研究所)

同じ「叉手」の字が、浄土宗の叉手合掌では指先を交える形を、禅の叉手では握りこぶしを覆う形を指している点は紛らわしいところです。『日本大百科全書』はこの二つを別の名前で呼び分けていて、指先を交える方が「叉十(しゃじゅう)」、こぶしを覆う方が「叉手」です。どちらも合掌の様式の一つに数えられています。

合掌は、手の形を表す名前としても広がりました。能の所作の一つや、山形に組んだ建築の部材にも「合掌」の名が付いていて、精選版 日本国語大辞典は建築での用例として、橋の部材を書き上げた文明13年(1481年)の記録を挙げています。『日本大百科全書』は、合掌造や合掌鳥居、相撲の合掌ひねりなども、日本の文化に合掌が根づいた例として挙げています。

仏さまの前でなくても手を合わせる

合掌は礼拝のためだけの形ではありません。改訂新版『世界大百科事典』は、仏教徒どうしがふだん交わす挨拶としても用いられる、と述べています。曹洞禅ネットの坐禅の作法には、席に着く前に両隣の人へ、続いて向かい側に座る人へ、合掌して頭を下げる挨拶が組み込まれています。円覚寺の横田南嶺管長も2024年のブログで、お経を読むとき、人に会ったとき、食事やお茶をいただくときと、寺ではさまざまな場面で手を合わせていると書いています。食事の前に「いただきます」と言う習慣が家庭に広まった時期は、「いただきます」が食卓のあいさつになった経緯で取り上げています。

国の外に目を向けると、『ブリタニカ国際大百科事典』は、インドや東南アジアでは今も、人と人が合掌で敬意を示し合っていると記しています。

合掌のよくある誤解

誤解1:合掌は仏教が始めた作法

大谷派の公式サイトは合掌を仏教より前からインドにあった敬礼として説明しています。最初の章で紹介した世界大百科事典も合掌のルーツをインドに置いていますが、仏教が生まれる前からとまでは書いていません。仏教はそれを受け継ぎ、右手と左手の意味づけなど独自の解釈を重ねてきた、と見るほうが資料に沿っています。

誤解2:右手は仏、左手は自分と、意味が一つに決まっている

右手を仏、左手を衆生とする説明は事典や宗門の辞典に見えますが、右手を自分にたとえる僧侶の解説もあり、『観音義疏』のように左右を割り当てずに、二つの手を一つにすることだけを説く古典もあります。左右の割り当ては一つに決まっておらず、表の説明の多くは「一つになる」という考え方で合掌を語っている、と受け止めるのが資料に沿った見方です。

誤解3:神社や神棚の拝礼では手を合わせない

神社の拝礼は拍手が基本ですが、北海道神社庁は神棚の拝み方として、拍手を打ったあと再び両手を合わせて祈りを込める段階を示しています。臨黄ネットの平尾師も、神社の拍手は形こそ少し違っても手を合わせる所作だと書いています。作法は神社や地域によって違いがあり、拍手の回数や手のずらし方は神社とお寺の参拝の流れと拍手の作法で紹介しています。

もうひとつ、「へぇー」を

1746年刊の『合掌叉手本儀編』で、真言宗の僧・諦忍は、仏を拝む世間の人がみな手のひらを合わせるだけで、指先を交える叉手合掌になっていないと書きました。手の形のずれは、江戸時代にも指摘されていました。

編集:へぇ助

合掌についてのよくある疑問

Q. 合掌したまま頭を下げるときは、どのくらい傾ける?

A. 浄土真宗本願寺派の公式サイトは、合掌の姿勢のまま上体を45度前に傾け、ゆっくり元に戻す礼拝の仕方を示しています。曹洞宗の坐禅の作法では、坐禅堂のご本尊や周りの人に礼をするとき、合掌したまま頭を下げる「合掌低頭(がっしょうていず)」をします。

Q. 合掌するとき、何か唱えるもの?

A. 宗派で違います。本願寺派の公式サイトは、合掌のときは念仏を必ず口に出すよう求め、心の中だけで唱える「黙念」という作法はないとしています。真言宗豊山派の公式サイトのコラムは、表で触れた金剛合掌とあわせて、口では光明真言を唱え、心には大日如来を思う修行を紹介しています。

Q. 数珠を持っているときは?

A. 本願寺派や大谷派は、合掌のときに念珠を両手にかけるよう案内しています。ただ、かけ方や房の向きは宗派ごとにかなり違うため、数珠の持ち方とかけ方の宗派別の違いで比べています。

Q. 宗派が分からないときは、どう合わせればよい?

A. 指をまっすぐ伸ばすと書いているのは真宗の両派と曹洞宗系の資料で、日蓮宗霊断師会のQ&Aは手のひらに加えて指まで密着させる形を、日蓮宗ポータルサイトと浄土宗の辞典は手のひらの間を空けない形を示しています。高さや角度は宗派で分かれるので、胸の前で合わせたうえで、法要の場では僧侶や周りの人の形に合わせるのが無難だと当サイトでは考えています。

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出典・参考

※合掌の形や意味づけは、宗派・寺院・地域によって異なります。本記事は上記の資料にもとづく整理です。法要などでは、その場の僧侶や寺院の案内を優先してください。